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コクリコ坂から「カルチェラタン」とは?学生運動や全学討論会の意味も解説

コクリコ坂から カルチェラタン
marika
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『コクリコ坂から』に登場するカルチェラタンとは、どんな建物なのでしょうか。

生徒が取り壊しに反対して学生運動を起こしていましたね。

「取り壊し反対!」の垂れ幕がかかっていたよね!

今回の記事では、

ポイント!
  • コクリコ坂から「カルチェラタン」とは?
  • 学生運動や全学討論会の意味も解説!

以上の2つについて調査しました。

講堂で行われた全学討論会や、その途中で歌いだした意味についても深掘りしましたので、ぜひ最後までご覧ください!

コクリコ坂から「カルチェラタン」とは?

カルチェラタンとは、メルや俊たちが通う港南学園に古くからある洋館のこと。

明治時代に男子学生の寮として建てられ、正式には「清涼荘」といいます。

100年以上前に建てられた設定だね。

作中では文化部の部室棟として利用されていて、そのミステリアスな内観にワクワクしたのは私だけではないはず!

この建物には取り壊しに反対する生徒の集会所としての側面もあり、熱く討論するシーンも印象的でしたね。

なんでみんなカルチェラタンと呼んでいたのかな?

まずはなぜ「カルチェラタン」と呼ばれるようになったのか、その由来や語源について解説しましょう。

学生運動との繋がりも見えてきましたよ。

「カルチェラタン」名前の由来や語源は?

カルチェ・ラタン(Quartier Latin)はフランス・パリ左岸にある学生街。

フランス語で「ラテン語の地区」という意味で、その語源は1150年、パリ大学ができたころまでさかのぼります。

フランスなのに「ラテン語」なんだね~。

当時学問はラテン語で学ぶことが主流とされ、界隈ではラテン語が多く飛び交っていたことからこの名が付いたのだとか。

現在でも大学や図書館など学生が集まる施設が多く立ち並び、学術的な場所として威光を放っています。

だからカルチェラタンなのか!

『コクリコ坂から』の古い洋館も、生徒たちがそれぞれの知識を深める場として使われていますよね。

パリの学園都市にあやかって、自分たちの部室棟を「カルチェラタン」と呼ぶようになったのではないかと推測しました。

カルチェラタン地区は学生運動のメッカだった!

1968年、世界のあちこちで大学生が暴動を起こすという前代未聞の現象がありました。

その発端となったのが、パリのカルチェラタン地区で発生した「五月革命」。

当時の政治に不満を持つ学生が立ち上がり、大統領を辞任にまで追い込んだセンセーショナルな事件です。

カルチェラタンから世界に学生運動が広がっていったんだ。

フランスで起こったこの大きなムーブメントは日本にも届き、神田あたりを「日本のカルチェラタン」と呼んだそうですよ。

『コクリコ坂から』の舞台はこれより前の1963年の設定になっていますが、そこはフィクションということでご愛嬌。

自分たちの行く末を少しでもいいものにしたい!と主張する俊や水沼たちが、カルチェラタンを体現しているのかも知れませんね。

宮崎駿さんの青春時代を投影したのかも?

【コクリコ坂から】学生運動や全学討論会の意味も解説

カルチェラタンの存続を巡って白熱した討論を繰り広げる生徒たち。

建物の至る所に取り壊し反対をアピールする垂れ幕がかかっていたり、俊が校内の池に飛び込んだりしていました。

これらは「学生運動」と呼ばれ、先生に自分たちの要求を認めてもらおうと生徒が立ち上がったもの。

さっきの「5月革命」だね!

ここからは、学生運動の意味を解説していきますよ。

水沼たちが全学討論会の途中で急に歌いだした理由も考察します!

生徒の政治活動の自由を描いていた!

日本での学生運動は、大正デモクラシーが始まりだとされていて、最も活発化するのが1960年~1970年代です。

特に60年後半は、「全学共闘会議」という組織によって警官との武力衝突が起こるなど過激な事件が多く起こる頃。

運動の中心にいたのは主に大学生で、その背景には第二次世界大戦が色濃く感じられますよ。

幼い頃に戦争を経験した世代だもんね。

日本だけでなく、世界中で「もう戦争を繰り返してはいけない」という強い反戦感情を持つ学生が多くいたのです。

また、国を復興させようと全国民のエネルギーが沸き上がっている時期でもありました。

まさに激動の時代だったんだ…。

何かを変えたいと思ったら、ビラを撒いたり広場で演説したりして仲間を集め、堂々と自分の意見を主張。

『コクリコ坂から』の時代は、世界中でこのような声のあげ方が主流だったのですね。

俊たちは高校生ですが、日頃から大学生の主張の仕方を目の当たりにしていて、方法を真似たのかも知れません。

自分たちの声で権力を動かすことができると信じて、行動に移すパワーがあったというのがすごい!

ちなみにこの作品の時代の運動はそこまで過激なものではなく、大人も余裕を持って見守っていたようですよ。

作中でも、集会を禁じられたり垂れ幕の撤去を指示されることなく、割と自由に活動しています。

カルチェラタンが取り壊されずに済んだのは、先生が生徒に主導権を譲っていたことも一因したように感じました。

全学討論会で歌った意味は?

学園のシンボルを取り壊すか否か、講堂で行われた全学討論会で生徒たちの議論が熱を帯びてきた頃。

先生が入ってくることが分かると、賛成派も反対派も一体となって合唱を始めます。

これは討論していたことをごまかすための手段と見るのが有力ですが、他にも理由が隠れていましたよ。

一髪触発の緊迫した雰囲気だったのに、急に団結したよね!

皆で歌っている所にやって来た先生は、結局一つの言葉も残さずに去っていきました。

このシーンから読み取れることは2つ。

  • カルチェラタンの存続にまつわる話し合いに、先生たちは介入させないという意思表示
  • この話し合いが禁止されないための防御策

自分たちだけで解決したかったのか。

また、先生の表情に注目すると少しニヤッと口角が上がるんです!

あれだけ大々的に垂れ幕がかかっていれば、建物内で何が起こっているのか知らない先生はいなかったかも知れません。

「お、やってるな」とむしろ好意的に受け止めていたようにも感じられますね。

自分の意見を主張すること自体は悪い事じゃないもんね。

まとめ

『コクリコ坂から』に登場するカルチェラタンとはどんな建物なのか、学生運動や全学討論会の意味についてお伝えしました。

まとめ
  • コクリコ坂から「カルチェラタン」とは?
    →明治時代からある文化部の部室棟!
  • 学生運動や全学討論会の意味も解説!
    →どちらも学生が自分たちの主張を叶えるための手段だった!

当時の学生は、今の私たちとは比較できないほど政治意識が高かったのですね。

時代背景を知ると、この作品の見え方がまた少し変わってくるのではないでしょうか♪

先生に見守られながら思い切り討論し合える環境。俊たち恵まれてるな~。

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